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「アステック」という会社
電気だけ、機械だけ、板金だけ、塗装だけという各分野の専門業者は多くあります。しかし、複数の業者と何度も打合せをする非効率を考えれば、一社に全て任せられ、丸投げ出来る会社があれば一番楽なわけです。それがアステックの目指した「FA界のコンビエンスストア」です。私達は、どんなに困難な課題でもお引き受けできるよう努力し、必ず解決することが使命だと考えています。アステックは、お客様から難しい要求をされればされるほど燃え、高度な要求に対して必死に食らいついていきます。そうやって、ノウハウが蓄積され、他社には真似の出来ないレベルの生産能力を身につけてきました。そして、これからも常に進歩成長する企業でありたいと思っています。
FA界のコンビニエンスストア
アステックはFA界のコンビニエンスストアを目指し、「全てが揃う」をモットーに「どこよりも早く、安く」を心がけております。工場が日頃抱える「コストが高い」「連絡がない」「納品に時間が掛かる」「仕入れ先が雑多すぎる」「毎日来ない」といった不満も全て解決出来ると自負しております。工場環境・作業工程の中で「より良い方法は?」「より安くする方法は?」といった改善テーマを含め、自動化・省力化の提案はもちろんの事技術相談にも対応するスタッフを配置しています。どんな小さなことでもぜひご相談頂ければと考えております。
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アステックの成り立ち
私は、岐阜県で生まれ高校までは岐阜で育ちました。実は大学では教師を目指し、その合間にヨット部に入部し、インカレにも参加し年間150日の合宿を行うなど、今思うととても珍しいことを体験したと思っています。「1度の失敗を2度繰り返さない」為にどう対策するかをすぐに求められ、それを対処しなくてはいけないことをそのとき教えられました。卒業後は教員ではなく、大手ハウスメーカーに就職し
そこで営業ノウハウを教わりました。1年で中部50人の3位に入り表彰されたことも自信へと繋がったと思います。24歳で電気業界に転職し、中途採用で後がない自分を奮い立たせ、誰よりも早く出社し、誰よりも遅く退社し、売上を伸ばし、新人賞をとり25歳でリーダーに任命されました。グループを持ち、先輩や年上の人などがいる中で成績を上げ、そんな中会社も東証一部へと発展し、自分も会社に貢献出来たことを誇りに思いました。そんな折、結婚をし、当時バブルが弾けたばかりで多くの人に引き止められる中、静岡に来る事となりました。静岡に来ると今までが嘘のような生温い生活が待っていました。「このままではおかしくなる」と思い、自分で課題を設定し、平成7年7月独立を決意しました。それこそがアステックの前身であるユーテックになります。確かに世間の風は厳しかったと思います。しかし、応援して頂いた多くのお客様のおかげで、増収増益しつづけてきました。その基盤となったのは、借入れをせず、わずか10坪の広さで始め、1人、2人と従業員が増え、毎年移転しながら身の丈にあった経営をして来た事にあると思います。平成12年には(株)静欧電機を買取り、平成14年に合併して株式会社アステックとなりました。
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リーマンショックからの躍進
皆様ご存知のように、リーマンショックにより多くの業界が被害を受け、その中でも自動車業界への打撃は、言葉に表せないものであったと思います。そのころのアステックは、実に売上の7割を自動車業界に依存していました。そこで、リーマンショック後より新規客先開拓を行い、以前は7割が自動車業界に依存した内容を、食品、医療機器、製紙、化粧品などあらゆる業界と取引き(リーマンショック後2010年11月末時点で160社と新規取引を開始)を行うようになり、今では自動車業界の比率は2割5分に下がりました。色々な業界と付き合う事で安定した経営が出来るようになったと思います。2010年1月から35名程採用し、九州、甲府と工場を出し、富士宮、掛川と営業拠点も増やし、拡大を図ってきました。これら全て、他社との差別化をしてきたことで、他社が縮小・撤退する中で拡大・進出を可能にしてきました。国内製造業へ設備投資が減少する一方で、人口減少による労働人口の低下で自動化・省人化をしないと生き残れない製造業は多くあります。その中であらゆる業界に精通したアステックは、お客様の「困った」を解決する力を増々高めております
10年後のアステック
4年後、売上30億を考えた時、東は神奈川、埼玉、東京、西は浜松など拠点を増やし、10年後100億を考えた時、グローバルに中国、アメリカ、インドなどへの進出を考えていきたいと思い、そのはじめの一歩を少しずつ進めている所です。また、アウトソーシングの株式会社平山と提携し、製造請負の新しいカタチを模索しています。互いの相乗効果で、製造業の囲い込みをもっとできないかと考えております。